7月18日 (59日目)

今日はサダナでの最後のワークの日。夕食は恒例のフィルムイベントがあった。夕食後、セバスチャンとマッドプールの近くに座り、一日の終わりを、そして私の最後のサダナの夜をねぎらってくれた。 私の心境を察してくれてさりげなく誘ってくれたのを感じた。昼間の暑さからようやく逃れ、柔らかな風が疲れて火照った身体を安らげてくれ、蛙の鳴き声と遠くから聞こえるドラムの音が、夜の静寂に更なる深みを与えてくれる。なんと平和で心安らぐひと時だろう。何度もここで夜を過ごしたが、今夜はいつもよりも心地良く、そして、今までになく感傷的になった。特別なことは何も話さず、ただ静かにゆっくりと時間の流れを楽しんだ。今始めて、2ヶ月経ったのだという実感が湧いてきた。そして、 ここでの体験がどのくらい貴重なものであったかというのは、今はまだはっきり分からないが、恐らく後になって気づくのであろう。容赦なく照りつける太陽と共に陽気に逞しく生きる人々や、決して期待を裏切ることがなかった明るく大きな月と星に囲まれて過ごした森での生活を通し、飾ることなく自分をさらけ出し、また、自分自身と向かい合うことができた。衣・食・住という生きる上での基本的な人権すら獲得できていない人々が多く存在する環境において、身体の清潔を保ち、常に空腹が満たされ、安心して眠る場所があった私に、これ以上何を望めよう。しかし、わずか半世紀前には私たちもかなり質素な生活をしていたはずではないか。無駄なモノと消費に溢れ、便利さと快適さのみを追求してやまない生活に浸り、大切な心の問題や人間関係に歪みが生じてきているのに気付いてはいるが、もう元に戻ることはできない。

ボランティア活動とは、自分ができる事を提供するだけだと思っていたが、逆にそれを遥かに超えるお土産を頂いたようだ。ここまで書いて、私は急に自分が恥ずかしくなった。というのは、ボランティア活動の名の下に、現地の生活にズケズケと入り込み、いっときの好奇心から無責任に挑発し、かき回してしまったかもしれないという不安を感じたからである。彼らはいつも親切であった。それは対個人としてではなく、結局は、私たちは通りすがりのお客さんであったのかもしれない…。

明日は早く起きて荷物の準備をしなければならない。さて、大好きだった私のハットに戻ろう。

コメント

このブログの人気の投稿