6 月 15 日 (26 日目 ) 医者にかかってから 4 日目になり、痛みは既になく歩けるようになったが、消毒をしにまだまだ通院する必要があるという。午後、 8 人で近くのボートハウスへ行き、そこからパラダイスビーチという小さな島にボートで向かった。広いビーチで、混み合ってもいなく奇麗な水ではあったが、特別印象には残らなかった。観光地だけあって売っているものは高い。帰りがけにレストランで食事をするつもりだったが、日曜日のためほとんど店は閉まっており、結局、キヨスクのような店(お菓子や飲み物、タバコ、雑誌、ガソリン、他の細々した日用品等を扱っており、この辺りではとても多い)で甘いお菓子とチャイを飲み、戻った。 夜、薬の影響でお腹がまたゆるくなってきたので、早めに寝た。
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6 月 13 日 (24 日目 ) 薬、カメラ、財布、クレジットカード、携帯電話等が入っていたビニール袋が消えていたのに朝気付いた。コミュニティー内を探したが見つからず、みんなに報告をしておいた。しかし、お昼ごろになってボランティアに来ていたヨガの先生が袋を見つけてくれた。彼には事前に袋の形態や中身等を詳しく伝えておいた。何やら彼には見つかる確信があったらしい。探すポイントを得ているようだ。何故誰が持って行ったのかは察しがついた。実は袋の中には昨日街で買ったビスケットが入っていた。ここのコミュニティーのルールでは、ビーガン意外の食物、アルコール、麻薬(当然ではあるが)を持ち込んではいけない。目当てにした、コミュニティー内にいる犬かあるいは外から侵入した動物による仕業であろう。 それにしてもよく匂いを嗅ぎ当てるものだと感心した。最初の頃は固形石鹸も食いちぎられた。私の場合、袋が見つかってホットしたが、実はそれまでに何人かは iPod やお財布等を紛失して迷宮入りになったものがある。この手の事件はとても微妙であり、気まずい空気が漂うので公表を控えていた人もいた。ある人は警察に届けたが、書類処理(コンピュータがない!)のとてつもない非合理さと、何回も足を運ばされたことに辟易していた。結果はわからないが…。
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6 月 12 日 (23 日目 ) 足裏の痛みにこれ以上我慢できなくなり、朝、オーロビルにある医者に行くことにした。ボランティアの一人がモペットで連れて行ってくれた。傷口からばい菌が入り化膿していた。 Infection. 実はこれは私だけではなく、他の人たちも経験しており、いつも誰かしら医者にかかっていた。ある人は、手の平の傷から菌が入り指先まで感染したらしい。ここでは、ほんの些細な傷でも油断してはならないという教訓を得た。そこで、みんな傷を作ったらすぐに洗浄と消毒をしていた。おかげで救急箱はフル活動していた。前回の下痢といい、まさに免疫性の無さの現われ。仕方がないとはいえ、かなり辛かった。さらに、医者から貰った抗生物質を飲んだら、今度は胃を悪くした。ヤレヤレ。
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6 月 9 日 (20 日目 ) イギリス人カップルが去り、新たにフランス人男性と日本人女性が加わった。そろそろ私は長く居る方に属するようだ。このフランス人はとてもユニークな人で、あっというまに人気者のリーダー的存在になった。私も彼とは一番ウマが合い、今でも連絡を取り合っている。フランス語のアクセントの強い英語で誰とでも躊躇せず話し、照れ屋でお茶面。そこがまた人を魅了させる。頻繁にかかってくるガールフレンドからの電話ではよく冷やかされていた。しかし、活動の目的をよく理解し、常に問題意識を持ち、積極的にワークをこなしていた。リーダーたる要素は、単に強いだけではなく、人間臭さや弱さを含めた魅力を備えたパーソナリティーが必要不可欠だと彼の行動を見て確信した。 ところで、私はこれまで何回かインドの公共バスに乗ったが、いつ乗っても混んでいる。特に夜は家族連れも多くすさまじい。交通機関でバスは一番安いし数もあるからだろうが、どうして夜に移動するのだろう。しかし、バスにすら乗れない人も多い。以前、インドの路上生活者が存在する仕組みを聞いたことがある。貧困家庭においては、狭く暑い家の中で寝るよりは広い戸外で寝る方がまだ快適であり、時にはお金や食べ物の施しがある。そのためにわざと自分の身体を傷つけることもある。たくさんのお金がなくても生きていける反面、まともに仕事に就いていてもキャッシュを多く持つことができない。これは、彼らの問題というよりは社会のシステムに起因するらしい。事情に乏しい私の知識ではこれ以上何も言えない…。 夜、いきなり雷雨があり、木が倒れ、いくつかのハットの内側もびしょ濡れになった。しかし、一時でも暑さから逃れることができたのは幸いだった。
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6 月 7 日 (18 日目 ) 今日は土曜日。午前中にヨガをし、ランチの後、 マトリマンデル(金色の円形状のスピリチュアルな建造物)の内側へ向かった。しかし、すんなりとは入れない。まずは、その時間に予約をした人たちが指定の場所に集合した後、場所を移動し、炎天下の中、立ったままでオーロビルとマトリマンデルについての説明を 30 分聞かなければならない。その後、行列をなして内側に誘導される。荷物を預け、靴下は新しい白いものに履き替えさせられる。会話 は一切禁止。まずは冷房が効いているだけで感激。 円形の 吹き抜けになった 中央に ゆるやかな螺旋状の通路がある。ほんのりと柔らかな明かりが空間を照らし、足下には絨毯が敷かれ、私たちが歩く音は吸い込まれる。まるで SF 映画に出てくるような宇宙空間。外の世界とは遮断され、不思議な異次元ではあるが心地よい。通路を上がっていくと、いくつかの部屋があり、ほどよい間隔にクッションが置いてある。部屋の中央には小さな明かりが一つだけ置いてある。好きな場所へ座り、そして楽なポーズで瞑想に浸ること 20 分。瞑想した…というよりは眠ってしまった。炎天下で 30 分立っていたせいだろう。これが マトリマンデルの見学ツアー。一日 3 回行われており、毎回多くの人が訪れる。 今夜から明日にかけて地元のインディアン 1 人を含め 4 人で少し離れた町へ出かけることにした。週末のワークを他の人と交換するなどやりくりして、いざ出発。めざすは Tirvannamalai (ティルヴァンナーマライ)。ここは重要なシヴァ神信仰の町で、シヴァ神は火の象徴アルナーチャルシュワルとして崇められている。満月のたびに丘のふもとを周回するたくさんの巡礼者で町は膨れあがる。さて、ここで、炎のリンガという伝説を初めて知った。その伝説によればシヴァ神は、火柱に姿を変えてティルヴァンナーマライのアルナーチャーラーに現れたといわれ、これがもととなってリンガの原型ができあがった。毎年 11 月か 12 月の満月の日には、インド最古の祭りの一つ、カルティカイ・ディーバム祭がインド中で行われる。このシヴァ神伝説にちなんだ祝祭は、ティルヴァンナーマライでは特に大切な祭りだ。ここでは、 2000 ℓのギー(精製したバター)に 30m もの芯を浸し火をつける。すると巨大な炎が燃え上がり...
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6 月 6 日 (17 日目 ) コミュニティーに時々訪れる地元の若い男性と時々話をするようになった。ここでボランティアをしていると言っているが、その姿を見た試しがない。彼が地元の Vodafone のレンタルを手配してくれた。何やら他より安く借りられるとのことだったが、使ってみるとそうでもなかったので文句を言っておいた。午後、彼のバイクに便乗して隣街のポンディチェリーを案内してもらった。帰り道ビーチでくつろぎ、その後、彼の知合いのイタリアンレストランでピザを食べた。コミュニティーでは味わえない久々の刺激の多い味覚を満喫した。やっぱりたまにはこの味が恋しくなる。 昨日と今日で 4 人のメンバーが増えた。カナダ人カップルとアメリカ人女性、アジア系アメリカ人女性。 夜は、近くの村でお祭りがあるというので 10 人位で出かけた。とにかく人が多く、日本の御神輿のようなものが出ていたが、はっきり言ってよくわからなかった。
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6 月 4 日 (15 日目 ) 午後、サダナフォレストのオーガナイザー一家が 2 週間の休暇から戻ってきた。私は写真でしか見たことがなかったが、半数上の人は既に以前会っていて彼らを迎える歓迎ぶりから、一家に対する信頼性や忠誠心の高さを感じた。実は数日前から、コミュニティーの整理整頓や歓迎の飾付けを行い、彼らが留守の間に溜まった乱れ(?)を正し、気持ちよく迎えようとの気持ちからだ。一家と話したい人が多く、私も合間を見計らって少しではあったが挨拶をすることができた。 今日から 50cc の原付バイクを借りることにした。さすがに自転車での移動はしんどく、近くの村や街に出るだけでも汗だくになってしまう。 モペットと呼ばれるヘルメットなしの無免許で乗れるものだが、地元の人は確か 10 歳位の子供から乗っている。バイクレンタルのお店がたくさんあり、一日 50 ルピーで借りられる。オイルが 1 リットル平均 60 ルピー。ただし、バイクの状態は非常に悪く、ライトがつかなかったり、ミラーがとれていたり、メーターやブレーキが壊れていたり等は当たり前。文句を言わない限り直してくれない。 少し経った頃、オーロビル以外の街では私たちは運転免許が必要になった。というのは、ある外国人旅行者が地元の車と衝突し事故になったのが原因で、規制が厳しくなった。私はそもそもバイクであのすさまじい運転の仕方と騒音の中を走るつもりがなかったので関係なかったのだが、男性はやはり遠出をしたく、時々私も後部座席に乗り便乗する時もあった。そんな時に事故にあった日には、もちろん同乗者も共犯である。インド人の運転はたぶんとても上手いのであろう。レースに出場したら恐らく優勝するのではないかとつくづく感じた。バス、トラック、オートリキショウ、モペット、それぞれがクラクションを鳴らし続け、どちらも譲ろうとせず、速度も緩めない…。