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「インドのある夏の一日」 早朝。 それ程遠くない所から、音楽とドラムの音が聞こえる。 この音でめざめるのは、心地よい。 まだ暑さがやってこない、日が昇る前の快適なひととき。 その音は、毎日聞こえるわけではない。昨日、どこかの村の長老が亡くなった合図である。 今日一日、夕方まで、歌と音楽、踊りが続く。 死者を祭る儀式だ。 わたしはドラムの音に魅了された。 感じるままの素直な表現が、自然なリズムを生み、インパクトと活力を感じさせてくれる。 男も女も、大人も子供も、牛や犬もその音と一体となり、 感じ、連帯感や調和を生む。 昼。 太陽が、頭上から容赦なく突き刺す。風はない。 しかし、ありがたいことに、日陰は程よく涼しく、ホット一息つける。 長く暑い午後の始まり…。 人々は家に戻り食事をし、一眠りする。 あるいは、食堂でほとんど毎日同じようなランチセットを注文する。 子供たちは屈託なく声をかけてくる。 大人は無愛想だが、ひとたび打ち解けると、家に招待され、食べ物のもてなしを受ける。 男たちは、路上で野菜や果物、チャイやサモサを売り、 主婦は、一日中忙しく動き回り、牛は堂々とゆっくり車道を横断する。 町のメインストリートは、いつも人でごった返し。騒音と無秩序な動きが寝につくまで続く。そしてまた、たくさんの路上生活者が、たくましく生きている…。 夜。 太陽が沈んだ分だけ涼しくなったが、まだまだ余熱は続いている。 ここではバスに乗って移動する人が、昼間以上に多い。 バスが到着するたびに、大量の乗客が入れ替わる。 開けっ放しのドアから身体が半分出ている人、中に入れずドアのバーに捕まる人、 はたまた、バスの背面や屋根にへばりつく人がいても、構わずバスは発車する。 膨れ上がったバスの中には、小さな子供連れの家族も多い。 なぜ、毎夜々、長距離バスで、これほど多くの人が移動するのか不思議だ。 夕食後、チャイを売る屋台には多くの人々が集まる。そこは一種の社交の場。 しかし、女性の姿は多くはない。屋台のそばにあるベンチに、女性が座る姿を見かけない。ましてや、男性の隣に座ることは許されない。 シヴァ神信仰の町では満月のたびに、たくさ...
7月18日 (59日目) 今日はサダナでの最後のワークの日。夕食は恒例のフィルムイベントがあった。夕食後、セバスチャンとマッドプールの近くに座り、一日の終わりを、そして私の最後のサダナの夜をねぎらってくれた。 私の心境を察 してくれて さりげなく誘ってくれたのを感じた。昼間の暑さからようやく逃れ、柔らかな風が疲れて火照った身体を安らげてくれ、蛙の鳴き声と遠くから聞こえるドラムの音が、夜の静寂に更なる深みを与えてくれる。なんと平和で心安らぐひと時だろう。何度もここで夜を過ごしたが、今夜はいつもよりも心地良く、そして、今までになく感傷的になった。特別なことは何も話さず、ただ静かにゆっくりと時間の流れを楽しんだ。今始めて、 2 ヶ月経ったのだという実感が湧いてきた。そして、 ここでの体験がどのくらい貴重なものであったかというのは、今はまだはっきり分からないが、恐らく後になって気づくのであろう。容赦なく照りつける太陽と共に陽気に逞しく生きる人々や、決して期待を裏切ることがなかった明るく大きな月と星に囲まれて過ごした森での生活を通し、飾ることなく自分をさらけ出し、また、自分自身と向かい合うことができた。衣・食・住という生きる上での基本的な人権すら獲得できていない人々が多く存在す る環境において、身体の清潔を保ち、常に空腹が満たされ、安心して眠る場所があった私に、これ以上何を望めよう。しかし、わずか半世紀前には私たちもかなり質素な生活をしていたはずではないか。無駄なモノと消費に溢れ、便利さと快適さのみを追求してやまない生活に浸り、大切な心の問題や人間関係に歪みが生じてきているのに気付いてはいるが、もう元に戻ることはできない。 ボランティア活動とは、自分ができる事を提供するだけだと思っていたが、逆にそれを遥かに超えるお土産を頂いたようだ。ここまで書いて、私は急に自分が恥ずかしくなった。というのは、ボランティア活動の名の下に、現地の生活にズケズケと入り込み、いっときの好奇心から無責任に挑発し、かき回してしまったかもしれないという不安を感じたからである。彼らはいつも親切であった。それは対個人としてではなく、結局は、私たちは通りすがりのお客さんであったのかもしれない…。 明日は早く起きて荷物の準備をしなければならない。さて、大好きだった私のハットに戻ろう。
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7月17日 (58日目) 午後、愉快なフランス人セバスチャンとオーロビルにあるアクセサリーのお店へ行った。彼の婚約者への指輪を注文するためだ。デザインは既に考えてあり、指輪のトップにここの地元の葉っぱ を二枚あしらったもので、内側には彼女の名前をタミル語で刻んでもらうという。 これまで何度も彼から彼女の事を聞いており、なんて優しいんだろうとちょっと羨ましかった。来月には彼女もここを訪れるらしい。そのお店に行く前にベーカリショップでお茶をしながら、彼はサダナフォレストの基本的な仕組みを図を描きながらわかりやすく説明してくれた。大学で環境問題を研究している彼は、ここではとても積極的に色々なことに取り組んでいる。私もだいたいのことは理解していたが、彼の説明でさらに納得することができた。大きく分けて二つのことである。一つはコミュニティーでの水の仕組みであり、もう一つは植林の仕組みである。 1 )毎日 2 回ソーラーパネルによって蓄えられ た電力を利用し、地下水をポンプで汲み上げ、貯蔵タンク( 高さ約 10 メートルのウォータータワーのトップにある)へとホースで運ばれる。タンクに溜まった 水は 重力により別のホースを通って運ばれ、日常生活用に使用される。ホースは長く重たく移動は簡単ではないが、必要に応じてズルズルと引っ張るしかない。しかし数カ所に水がめがあり、少量の水はそこから柄杓で使用する。飲料水用には濾過タンクがある。電力が不足した時は発電用の自転車をこぐ。 2 )荒廃した土壌でも逞しく育つアカシア(オーストラリア産)を 5 年位前に植え、現在それが大きく成長してきている。そして土壌がようやく復活してきたところへ今度は地元の木を植えようとしている。現段階では水分確保が必要であり、毎朝の穴堀りはとても重要な作業である。大きな四角い穴を数カ所堀り、掘り出した土で周囲を帯状に固め、水を逃がさないようにする。 7 月後半にやってくるモンスーンは森にとってはとてもありがたい。それまでにはなんとか 3 つの穴が完成しそうだ。そして、たくさんの小さな穴は植林用である。しかし、アカシアと地元の木が混在するとお互いが反発するため、今後はアカシアを徐々に減らしていく。
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7月16日 (57日目) オーガナイザーからサダナフォレストのポスターの制作を頼まれた。オーロビルのインフォメーションオフィスに置くためだ。デザインの仕事は私の得意とするとろであり、喜んで引き受けた。
7月15日 (56日目) 今朝、ウエイクアップコールがなかったので、当番のフランチェスコに替わりにやってあげた。しかし、1/3位の人が起きるのが遅かった。その後、昨夜近くの街で、私たちの仲間のボランティア二人がモペットで事故を起こし、そのうち一人は病院へ運ばれたということを知った。ここのオーガナイザーは昨夜から患者に付き添っている。彼らは二人乗りをしていて、運転手には幸いにも怪我はなかったがかなり落ち込んでいる。コミュニティー全体が静まり返っている。無理もない。患者は人気者のドイツ人の若者であり、みんなとても心配しているからだ。そのため今日一日も、通常通りのタスクをこなしたが、いつもよりは静かではあった。何かモペット運転についてのいい教訓かもしれない。
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7月14日 (55日目) 午後、トイレのコンポース作業を私と一緒に行ったアメリカ人女性が去った。ここでの生活の中で、最も興味深い仕事だった。いろいろなおしゃべりをしながら、約3時間、長い棒と長いシャベルで深い穴に向き合った仲だ。彼女はサダナは今回で二度目であり、オーガナイザーとはかなりウマが合っていた。 夜、彼が電話をくれた。いつになく話しに勢いがあった。私の行動をこれまで以上に評価し、励ましてくれた。日本社会の中での私の行動は、周囲を戸惑わせてしまうことが時々ある。いい意味では「風変わり」だが、悪い意味では「ちょっと変」なのはわかっている。それは、立場、状況、経験、年齢等を総合的に評価した時、恐らく多数派ではない選択をしているのであろう。彼自身も少数派の中で生きているがそれに自信を持っているため、私のことを誇りに思っているという。そして、早く会いたいと…。何とも嬉しい電話だった。
7月13日 (54日目) お昼頃、オーロビルのゲストハウスに滞在している日本人女性二人がコミュニティーを訪ねてきた。前述した日本人男性オーロビリアンから紹介されたからである。私も話は聞いていたので会えるのを楽しみにしていた。ランチを一緒にとった後、コミュニティをざっと案内した。彼女たちのゲストハウスはここに比べるとかなりモダンであり、自由時間もたくさんあるため、ここでの生活にはさすがに驚いていた。その後、今度は私が彼女たちの生活を知りたく一緒にゲストハウスに向かった。そこでは、さらに韓国人学生二人と知り合り、午後を楽しく過ごした。彼らは環境問題を勉強しに来ていた。 今日は、日曜日。私にとっては最後の夜のミーティング。そして、ここに居るのもあと5日間。後半はあっとう間に過ぎてしまった。